500文字くらいの日記

話も文章も長くなるので短くまとめる訓練をしたい

母と新興宗教の話

前回からかなり間が空いてしまった。

風邪がなかなか治らず、治ってからもなんとなくブログを書く習慣が生活から抜け落ちていた。

ようやっと元気が戻って来た。抜歯もした。

そうしたら夫が風邪を引いた。難儀なものである。

 

数日前うちに新興宗教の勧誘の人が来た。

「生活情報誌です、よろしければお読みください」といって渡された冊子は、わたしの実家に毎月届くものと同じだった。

地元から離れて、名字も変わって、見るもの聞くもの全てが変わったのに、その女性の手元だけが実家から切り取って来たかのようで、眩暈がした。

 

その宗教は、妻や母や子がどのように振る舞うと家庭が上手くいくか、みたいな家庭内の生活の改善、教育に重きを置いたものだ、と思う。

父を、主人を大切にしなさいとか、子供は親に尽くしなさいとか。

母は、子育てや仕事、体力の都合が付く時期は熱心にこの団体の会合に通っていた。

 

わたしの記憶する母はたいてい機嫌が悪いか眠たそうにしているかのどちらかで、でも、どんな時でも家族にご飯を作ってくれたし洗濯もしてくれた。

わたしは無理をしてでも母であろうとする存在に対して、自分が責められているような負い目を感じていた。

それとは別に都度都度母の考えが分からないとも思ってきたし、もし親子として生まれなかったとしたら絶対に仲良くなれなかったとも、今でも思う。

 

その冊子に載っていた会員の投稿を読んだ時に、母が何を考えて何を信念として私たち子供に接してきたのか、初めて理解できた。

親は子供や夫の為に自分を捨てて尽くし、その姿を見せることで子供は「良い子供」に育つし、親に報恩の気持ちを抱く。「良い子供」に育ったような言動や行動が見られれば、教えの通りだと喜ぶ。

家庭内で上手くいかないことがあれば自分の努力が足りないからだと思い、問題の根本的な解決からは目を逸らす。

 

どうしてわたしの母は、と長年思っていたことすべてが、ノルマ達成のためにと見知らぬ他人が持ってきた冊子によって簡単に説明されてしまう。

そのあまりのあっけなさと悲劇性と、もどかしさと寂しさと、自分がありのままに愛されていなかったのではないかという恐怖に、ひたすら涙が流れた。

母は母なりに、一生懸命に子供を育てたし、そこで息詰まることがあったからこそ、そのような宗教に傾倒したのだと思うし、大事にされた記憶もきちんとあるし、となだめようとするがそれを上回る「でも」が頭を埋め尽くす。

 

「自分の持っていないものを数えながら生きるのは嫌」というセリフがある。

自分の過去と向き合って、その上で決別して生きていきたい。