言の葉の庭をみた
野球を観に行ったり、進撃の巨人の新刊を読んだり、「127時間」「言の葉の庭」を見たり、サッカーを観たり、メルカリにもう応援しなくなったアイドルグッズを出品したり、している。
何かを見たり聞いたりしたらちゃんとそれを言語化せねばと思っている。
言の葉の庭は、心配になるくらい自分の内面を出さなかった主人公が、最後の最後に振られて取り乱し他者を傷つけようとした。
その取り返しのつかなさと、起きている事に対するこのわたしの無力感が焦燥感へと繋がり、ごく短いシーンなのに長く感じられた。
一旦は「先生だから」と告白を断ることで、雪野先生が、自分の意に染まないことでも役割として全うできる「ちゃんとした」大人だということが描かれていてよかった。
もちろんそれまでにも、仕事を辞めてからも朝きちんと起きて身支度を整えて駅まで行く、という彼女の理性的な部分が描かれているが、あのシーンが無かったら低きに流れる性格なのか、本当に恋に落ちているのか、観ている方はどちらなのかわかりにくい。
一度振る、それによって後のシーンに説得力が出る。
世の中のつらい思いをしている人がみんなこういう風にして救われていったらなあ、と思った。