ニーチェの愛のフィルター
快活な友人のことをよく考える。
多少の困難は「そういうもの」とやんわり受け止めて、ずんずんと目的を果たしていく力強さがあって、すごく好きだ。
その友人が妊娠したと聞いて、母親になるにはやはりこういう人間がふさわしいな、と深く深く、みぞおちのあたりで納得した。
自分の思う理想の母親とは?と自問すると、やはり「相手のありのままを喜ぶさま」だと思う。ニーチェが、あの、恋愛においてあまりうまくいっていなかったとされているニーチェが、愛について語るときに、そう表現していた。
初めて読んだ時は「ハァ…?でもなんかいい言葉だな」と思い、それからずっと、壁に貼ったままのカレンダーみたいに、「あるな」という感じがしていた。
最近はその言葉がぐっと身に染みるようになってきた。
あまりよくない感情が浮かんでくるときにはぐっとそのニーチェフィルターに通して、そうするとたいがいフィルターに引っかかる。
おお、こんなにも自分の思うとおりに動かそうというきもちが、あったんだな…と痛い気持ちになる。
こういう行動を認知行動療法という。