選ばなかった未来
帰り道にいつものバスを降りて、走り去る「3」のバスの後ろ姿を見ながら、「あのままバスに乗っていたら、今頃あの辺りにいるんだな」と何となく立ちつくしたまま思った。
バスはどんどん離れていって、乱視のわたしにはどれがどのテールランプだか、あっという間に分からなくなった。
選ばなかった未来はこんな風にいつも身近にあったのだ。
あのままバスに乗って、駅について、新幹線に乗ることだって出来た。
日常、私達はたくさんのものを選んだり選ばなかったりして生きている。
その分岐先が見えないだけで、無数の未来が自分にはあったのだ、あったんだなあ。
この季節の割に暖かくて強い風に髪の毛をめちゃくちゃにされながら幸せな気持ちになった。
タダで気を使いたくない
気をつかうことをデフォルトで求められると、あまのじゃくなのでかえって気付かないふりをすることがよくある。
大きめの独り言とか、話しかけて欲しそうな視線とか、これ以上は踏み込まないでくださいというバックステップとか。
特に何か言い訳をしている人が「まあ、まあまあ…」といった雰囲気を出すと、何もいい加減に流してやるものかと思い無言で見つめてしまう。
そういう時に助け舟を出してあげる人は優しい、きっと色々上手くんだろうな、人生とか。
お察しの世界に慣れている、もうずっと何年も甘やかされてきたんだろうなというライフステージの人が全般に苦手だ。
だいたいが50代以上、あと男性に多い。
もっと否定待ちの謙遜をしてそういう根性ごとボコボコにされたりする経験をしてください、あなたたちにはそういう刺激が足りません。
1ヶ月に1回くらい来ては顔パス然としている人に毎回お名前を聞いて、安全圏から傷付けています。
ぼんやり指で触る
わたしは夫のことが好きなのか?と疑問に思うことが多かった一年だったような気がする。
気づけば7年も一緒にいて、出会った当初からずっと「兄妹みたい」と言われてきた。
なんとなく飽きてきたような気もするし、意地悪な気持ちになることが増えてきて、これはいかんと時折姿勢を正して一年やってきた。
さっき寝ている夫の頬を指の背でなぜながらぼんやりしていたが、は!と気づいた。
なんでもない時に触っている、これは客観的に見てかなり愛着表現なのではないか?
「湯を沸かすほどの熱い愛」を見ても全然ピンと来なかったが、なるほどこういうことか。
クリスマスランチ
今日はクリスマスランチビッフェを食べたあとに生理痛がひどくなり、そのまま帰宅した。
薬を飲んで2時間しても効かず、いかんとはわかりつつ二度目の服用。
いつのまにか寝ていて、悪夢を見て目が覚めた。
ぐっすり眠ったからか頭がギャンギャンに回転して眠れない。
動悸と、足のもやもやも相まって散文的なことばかり頭に浮かぶ。
友人の妊娠
友人が妊娠したらしい。
初めて聞いた時は、自分だけ忘れ物をした時のような隔絶感があった。
でもそれ以上に、彼女に子供が出来たことが本当にびっくりするくらい嬉しかったし、ちゃんと人の幸せを心の底から喜べた自分に安堵した。
子供が居なくても幸せになれる世の中だけど、子供が産まれるのがめでたいことに変わりはない。
相変わらず彼女は物事の良い側面を見て、日々を楽しく、そして苦しいことはさらりと受け流して生きていた。
物事への期待値が高くないので幸せになりやすいのかもな、と思った。
その姿勢は素晴らしくて、わたしもいつかはああなれるだろうかとずっと考えている。
ちょっとうまくいかないと全てが台無しになったように感じるのはやめた方がいいな。