配偶者の愚痴を娘に言い合うタイプの親
小野ほりでいさんのnote「母を悪くいう父、父を悪くいう母」を読んだ。
普段noteを購入することはないが、タイトルに心当たりがありすぎた。小野ほりでいに言語化してもらえるなら100円はぜんぜん安い。
わたしは父親に溺愛されて育った。
父はちゃらんぽらんで気分屋で理不尽に怒り出すことが頻繁にあった。
母は、父に何か不満があれば「あんたがお父さんに言って。お母さんが言っても聞かないんやから。」と私を仲介者として扱っていた。
その時は「娘の言うことばかり聞く夫への不満」もセットだ。
父親に露骨に優遇されていることに気付いてはいるが、それがひいきと言う言葉で表わされるとか、あまり家庭内ではよくない類の事柄だとかを知らなかった幼稚園児は、そこで「父親が私だけを特別扱いするのは悪いこと」という認識をし、同時に、
自分は母親を怒らせ悲しませる悪いことをしている、というとてつもない罪悪感を覚える。
わたしが父にひいきされていると少しでも感じるとその母の発言を思い出すようになり、その罪悪感は根強くなっていく。
兄たちも、同じことをしても自分たちは殴られ蹴られるのに妹は見逃されているのが面白くなく、「妹ばっかりひいきされてずるい」とたまにわたしにつらく当たるときもあった。当然のことだろう。
父には溺愛されるが母にはどうも憎まれているようだ、兄たちもあまり遊んでくれなくなったし(これは年齢もあったと思う)、ということをぼんやりした脳で感じ始める。「わたしがいなかったら家族は上手くいっていたんだろうな」とぼんやり思い、あーなんか生まれてこない方が良かったのかも、というぼんやりとした感情は罪悪感と共にずっと根を張ることになる。
父への不満が日々積もり積もった母も機嫌が不安定になり、そうした母への不満を父は私に言うようになる。
まじで「母を悪くいう父、父を悪くいう母」状態だった。
その時にはどちらのこともぼんやり嫌いになっていて、高校生の時は早く家を出たくて怒りで気が狂いそうになっていた。
あったなあ、配偶者の愚痴を子供に言う親…。
ほかにも父がパチンコをしていたり母がマルチ商法や新興宗教にハマったり、わたしに直接は関係ないことで家庭内はまあまあ大変だったな、と社会人になってやっと気づいた。
大学にも行かせてもらったし、母はずっとご飯を手作りしてくれたし、いまさら被害者ぶるつもりはないが、まあ、ここでくらいは不満を言わせてほしい。
「自分の自我の半分にあたる親が攻撃されることは、ちょうど自分の半分が攻撃されていることを意味する。」
というこのnoteでの文章は幼稚園児の時に感じたあの痛みの理由がわかった気がした。