駅前で大演説をされて被害者ぶるな
駅前で募金を募っている人がいる。
今日久しぶりに電車に乗ったら、駅の正面で朗々と演説をしている若い男の子がいた。
大学生くらいだろうか。よくあるひととおりの募金活動とはちがい、選挙演説と同じくらいの熱意で「犬ちゃんや猫ちゃん」のために募金を、と空中に向かって情感たっぷりに叫んでいた。
その一生懸命な姿に大量の感情が頭を去来した。
そこまで熱心に語ると逆に通行人に引かれてるでしょ、という冷笑から、
こんなに心を込めて何かに尽くしたいという気持ちがあるというその一点だけで、わたしより彼は素晴らしい人間だ、とか、
傍に犬を置いて同情を買うことへのなんとなしの疑問や、
動物はかわいいが自分に明らかなリターンの無いものにお金を出したくないという、あさましさ。
本当に犬ちゃんや猫ちゃんを救うには、平日の昼間に募金活動をすることが必要なのか?
その時間を別のことにあてるとか、クラウドファンディングするとか、そういうのじゃダメなのか?
ダメなんだろうな。
自分には想像力が無いので、彼やその団体がその行動に至った理由が分からない。
分からないのに、その演説に特に耳を傾けることもしない。もしかしたら藁にもすがる思いかもしれないのに。
純粋でまっすぐな若者を見て己の薄汚さを知り、罪悪感を覚え、自分が悪人であるという認識に耐えられないとき、
人は「あれは詐欺だ」という解決策を無意識に捻り出す。
自分が悪いのではない。
あいつは人を騙しているから、あいつが悪い。
あいつを目にしたことによって覚えた罪悪感や皮肉的な考えは、あいつのせいだ。
そう思うことで自分を守ろうとする。
その若者が詐欺であろうとなかろうと、同じことを思ったのにね。
若者の前を通り過ぎ、ミスドでドーナツを選びながらそういうことを考えていた。
調べたらなんか普通に詐欺らしいです。