駅の階段
地下鉄の駅の階段で座っている人がいた。
はじめはやばい人かも、関わらない方がいいやつか、と思ったが近づいていくうちにわかった。
隣に置いているのはロフストランド杖で、何らかの理由で座り込んでしまって、手すりを掴んで立とうとするが立ち上がれないようだった。
声を掛けると「靴が脱げてしまって」、と。
状態は両下肢に軽度から中度の麻痺、上半身には麻痺ほとんど無いようだが体を捻ることが出来ないということは腰の辺りまで不自由なのではないか、という具合だった。
靴を履くために前傾姿勢を取ろうとすると、足に麻痺があるために踏ん張りがきかず、転がり落ちそうになるのだろう。
しかし立ち上がったとしても屈んで靴を履くことはかなり厳しいだろう。
1人ではどうにもできない状態だったのだ。
靴を履かせて立ち上がり介助して、エレベーターを使いますかと聞くと、「エレベーターがある側に行ってしまうと、青信号のうちに横断歩道が渡りきれないので」とのこと。
階段を昇るのには慣れているようでもう大丈夫です、ありがとうございます、と言われ立ち去る。
横断歩道を渡り終わる事が出来ないから足が悪くてもエレベーターが使えず、座り込んでしまっても、わたしが見た限り10人以上が横を素通りしていった。
タクシーを使えばいいがそうもいかない事情があるのかもしれない。
素通りしていった人たちは、自分がある日突然事故にあって同じ境遇になった時、困っている時に健康な脚を持った人に見て見ぬふりされたらどんな気持ちになるかとか、考えないんだろうか、考えないんだろうな、と思った。
結局人の為になりたいというエゴでしか人に親切に出来ない自分のことを放っておいて好き勝手に考えた。
忙しさと付き合いたい
休みの日に遊びに行って、そのことを書きたかったりするが元気がないと楽しいことは思い出せないのだな、と思っている間に忘れていく。
毎日やることがどかーっと山積みにされて、それを裾野からツルハシで崩していくけど山は1時間おきにでかくなりますみたいな生活をしている。
食後低血圧、低血糖とも上手く付き合っていかないといけない。
食後の耐えがたい眠気に一瞬で敗北する日が続くとすぐに生活が終わる。
忙しくてコンテンツに触れる時間があまりに少ない。
月ノ美兎の1時間程度の動画を毎日5分とか10分ずつ観る生活をしていると、本当に心が荒む。
これで子育てとかしている人は手が4本あるか1日が30時間あるかのチートをしていると思っている。
聴覚認知と印鑑
今日は朝ごはんを食べ損ねたがラムネを食べて事なきを得た。
ブドウ糖は大事だ。
昨日の授業によって聴覚認知が弱いことが明らかになり、同様の結果が出た隣の人と、これまでの困りエピソードを分かち合う。
これまで他人にほとんど話せなかったし共感もしてもらえなかった、環境音が混ざると会話が聞き取れなくなるとか、板書の無い授業についていけないとかいう話をする。
初めて人に共感してもらったことで、慰められたような気持ちになった。
それは本当に喜ばしい出来事だったが、勉強の進捗が上手くいっていると感じられず、どうにもイライラする。
前方の席に座っていることもあり気疲れをする。
大事な書類に、勘違いで前の苗字のハンコを何個も押してしまった。
それを訂正しようと二重線を引いたら複写式だったので4枚目まで不必要な線が写ってしまった。
新しい苗字の印鑑を押すが、半分しか朱肉が付いておらず、更にそれも訂正した。
誤った方の印影にやや重なって新しく押印してしまったが、(もう解放してくれ〜!)という気持ちで諦めて封筒に突っ込んだ。
明日はいい日になって欲しい。
ささやかに嫌なことが続く
このところ平日だけでなく休日でも寝不足が続いた。
するとどうにもイライラして仕方がなく、今日は完全に無の表情で1日を過ごした。
帰りに百貨店に寄って、バレンタインの催事場でスターウォーズと惑星のチョコをそれぞれ夫と自分用に買った。
最近急にこれまでの靴がどれも合わなくなってしまって、何を履いても左足の中指と薬指の筋が歩く度に痛い。
イライラして授業中に指先の皮を要らぬところまではいでしまい、ペンを持つのがつらい。
ここ2年くらい治っていたあばらの神経痛が環境の変化と冷えによって慢性化してしまって、心も体も少しずつ疲労が溜まっていく。
帰宅して横になると、瞬きの間で数時間経っている。
トイレに行くと紙がなくなってしまって、慌ててコンビニに買いに行く。
こうして書いてみると、気持ちは元気なのにささやかに嫌なことばかり起こっていた。
ベタ踏みレッスン
学校三日目、和やかなこれまでと打って変わって、いきなりアクセルベタ踏みノンストップスペクタクルな授業に転換し、理解する間も無くただメモを取るのに必死で、休み時間にはあちこちから悲鳴が上がった。
頭脳労働は体力勝負で、最後の30分は教科書のどこの部分の説明をしているかも一瞬わからなくなる有様で、大変な1日となった。
ただ周りの人がほんとうに良い人たちなので一緒に頑張りましょうね、と励まし合い、分からないところは教え合い、放課後に残って勉強し、これからやっていけるでしょうか、、と慄きながら駅まで歩いた。
共闘する仲間がいるというのはありがたい。
歳をとると色んなことがいい加減になる。
かつて何をみても心にヤスリがけされるような痛みを感じていたのが、こんなに楽になるとは思わなかった。
高校生の時の国語教師が、「大学生までは内面の悩みなどで何もかもがわからなくなり、まるで砂嵐の中を歩いているようだったが、仕事や子育てで忙しくしているうちに考えなくなって楽になりました」と言っていたのをどこかお守りのようにして生きてきた。
半ば諦めていたが、わたしもそのフェーズに入ってきたのかもしれない。
常にコンテンツに触れていたい
これまでずっと好きな時に寝て起きてスマホやテレビを通して何がしかに触れられていたので、学校に通うようになってからコンテンツを消費できないことのストレスを感じるようになった。
行き帰りはずっと音楽を聴いているし、帰宅してからはずっとYouTubeで月ノ美兎の動画をBluetoothイヤホンで流しながら洗濯物をやっつけ、ジョジョを観ながら皿を洗い、風呂に入る時ですらハンバートハンバートを流して、コンテンツにじゃぶじゃぶ溺れている。
健康的な食事を強制された人がマックに憧憬を抱くのと同じものだろう。
最近布団が冷たくて、眠たくても布団に入ると目が冴えてしまう。
布団乾燥機を使えば良いのだ、とその時に思うが、悔しくてそのまま我慢することが多い。
今日は頭がぼんやりしていて文章が浮かばないようである。
学校初日
今日から資格取得のために学校に通う。
いつもと違うことをするのはわくわくするがそれ以上にドキドキするし、いつものようにまた失敗するのではないかと緊張する。
特に目立った失敗は無かったが、定期券は自分で買うものだとは知らず恥ずかしい思いをした。
新しいノートの1ページ目に丁寧に文字を書くような不自然な気合の入り方をしたまま1日が終わった。
いつも丁寧な字を書いていればこんなに疲れることはないのにな、とこういう事があるたびに思う。
帰りに同じ学校の親切な人に付き添ってもらって定期券を購入する。
つやつやしたICカードを手に入れて、社会人らしさとそのデザインのダサさに複雑な気持ちになる。
よくよくお礼を言って別れる。
明日からはつやつやでダサいICカードで往復するのだ。