ハンズリガード
ハンズリガードという言葉がある。
赤ちゃんが初めて自分の手を自分の意思で動かせるものだと認識するというものだ。
ということは、ハンズリガードまでと、それからしばらくは、赤ちゃんは自分と他者の区別が付いていないということだろうか。
あんなに至近距離にある自分の手すら分からないんだから、世の中のどれが自分に動かせてどれが動かせないのか、まだ分からないんじゃないか。
そういう時期の赤ちゃんは、どういう振る舞いになるんだろうか。
自分も含めて、すべてをすごく乱雑に扱うのか?
痛みとの因果関係が分かっていないならあり得るかもしれない。
じゃあもし、「叩くと痛い」は分かっても「他者」は分かっていないという段階の赤ちゃんがいたとしたら、あまねく全てに優しく触れるのだろうか。
びっくりするくらい優しい世界ですよね。
家への愛着
引越してから2週間が経った。
初めは「家に帰る」という行為に対して、穏やかな感覚がなかなか芽生えず、旅行先で連泊するホテルに帰るような、避難基地のような心持ちでいた。
たぶん、これはソトで嫌なことがあったりして、相対的に家の安全性が上がることでウチに愛着が生まれるやつだな、と思って待っていた。
4日目くらいで渋谷でありえないくらいの迷子になり撹乱され、大変な目に遭ったのでだいぶ家の居心地の良さが上がった。
目の前に見えているヒカリエになぜか辿りつかないという珍現象だったな。
まだ人の多さに慣れなくて、東京という土地を考えれば全然大したことのない規模の人の流れでも、「オヤこっちに風が流れているぞ!」とついていってしまう。
街歩き、難しいな〜。
あと家に対する親近感は、匂いにもかなり関連している。
初めは知らん家の匂いだったのが、アロマディフューザーやルームミストや香水や柔軟剤で自分ナイズドされていくにつれ、安心感が芽生える。
順調に引越しTIPSを得ていっているぞ。
人間1人は白熱球1つ分
図書館で「お店の解剖図鑑」という本を借りてきた。
ファーストフード、創作和風料理屋、カフェなどの建築・インテリアにおけるあるあるが詰め込まれていて、しかもその視点が、作り手からの目線のはずが少し皮肉めいていて笑ってしまった。
温度管理についての章で、「人間1人がいると白熱球1つくらいの熱を発する」という言葉があり、
夫が風呂に入る時、たいへんに寒がって脱衣所の洗面台の電気をつけて、なけなしの暖を取っているのを思い出した。
そんなにあったかくならんでしょうが、と思っていたけど、人が3人いるのと同じくらい温まっているんだな。
そして夫が部屋に居る時も(白熱球1つ分…)と考えるようになった。
「まるで太陽のような人だ」というようにただ例えるのでなく、現実として人が発するエネルギーが電気に対応しているというのが、より実際を伴っているという感じがしてよい。
「僕だけがいない街」
「僕だけがいない街」のアニメを全部みた。
ここ一年くらい、フィクションにおける道徳・倫理的な「語り」が、右から左とすり抜けていくばかりで染みてこず、スキップばかりしていた。
映画とか創作物においてスキップするって本当やっちゃいけない御法度なのは分かってるんだけど全然受け付けない。
でも、「僕街」は聞けました。
嘘、ちょっとだけ目の焦点が遠くなったりとかした。
でも、「信じる、と口に出して言うのは疑っているからだ」、とか、「自分のことを信じてほしいからあなたのことを信じる」、とか、実感を伴って理解できる言葉もあったりして、ちゃんと聞けました。
自分がこうして欲しいから、その見本を他者に示すように振る舞うことってあると思う。
あと、自分はこんなに人格的な行動をしているんだから周囲から丁重に扱われるべきだ、みたいな傲りと甘えみたいなのも。
登場人物がみんな魅力的で、賢也とかめっちゃツボでした、ブレイブストーリーのミツルに性癖を持っていかれた人間なので。
最後の最後のシーンで悟のかっこよさに気づきました。
全体を通して作画が綺麗だったな。
最後にタイトルの回収がされるのもすごく良かった。
あーそういうことかと、一見怖い言葉だし、あんなにサスペンス色の強い作品のタイトルにプラスの意味が込められているとは思わなかった。
過去に戻るとか、犯罪を防ぐとか、雪国とか、設定がかなり被っている「テセウスの船」を同時視聴していたので、夢でかなりごっちゃになって面白かった。
収納
引越しの荷解きは終わったが、今後もっと楽にやりたいなという気持ちを再確認した。
例えばキッチンの収納ひとつとっても、
ストックしている乾物をでかいかごに入れているが、それだと入る段ボールが限られるし、蓋がないので上にあまり不用意なものは入れられない。
コンパクトで、蓋がついているものに何事も収納するようにすれば、あとはぽいぽいとそのまま段ボールに入れていけばよいし、出すだけでよい。
その場その場に合わせてカゴやケースを買うのは不経済だから、出来るだけ小さいものに分けて保管するようにしたいな。
などと家の中の改善点が頭の中から離れず、メモリを半分ほど持っていかれていた。
引越し
昨日は引っ越しの荷物の積み込みだった。
4日くらい準備に充てられたので、2日はダラダラして、2日でセイヤっと荷物をまとめた。
無計画なので、捨てるはずの瓶とかペットボトルが捨てられておらず、普通に何箱か埋まった。
あとでかいクッションだけで一箱消費して、それを2つ作ったら当たり前のように段ボールが足りなくなってびっくりした。
でかいクッションで一箱使っちゃダメなんだ、という発見。
当日も「引越し」という字面の忙しそうさに反してとてもゆっくりしていて、10時くらいに起きてTwitterをみたりミスドに昼ごはんを食べに行ったりする余裕すらあった。
業者が来てからはすることもないので和室に篭り、押し入れでオモえもんのモノマネをして遊んでいた。
ここには結婚してからの一年半しか住んでいないし、なんなら途中で引越しを挟んでいるので感慨も湧かなかった。
夫がしみじみしていた。えらいな。
なんか人間の情動をきちんとトレースしている感じがする。
そのあと目の前で交通事故を見てしまって夢かと思った。
「バビロン」をみた
アニメ「バビロン」をみた。
アマプラには今のところ11話までしか公開されていないので、そこまで。
自殺する自由を法的に認める、自殺法の是非を問うていくアニメだ。
最初は革命家によって打ち立てられた突拍子もない法律が、次第に世界へと広まっていく。
自殺によって遺族は悲しみ経済は停滞する。
しかし、生きていたくないという意思は尊重されるべきだ、ということらしい。
自殺は是か否か?
わたしは否かなと思う。
生まれた環境とか、本人にはどうしようもない要因によって不幸の只中にいる人が自殺したとしても、誰もその人を責められないし、自殺がその人にとって唯一の救い足り得る状況と言えるだろう。
本人の努力では克服できない困難に対して救いの手が差し伸べられないことが間違っているのだから。
ただ、それはそれとして、自殺は否定する。その2つのスタンスは無理なく両立すると思う。
だって自殺が肯定されたら、絶対悲劇のヒロイン気取ったやつがボコボコ死んでいくでしょ。
自分の意思や行動で改善できる状況や、時間が経てばどうにかなる物事というのがある。
経験を積んで、その辺りが見極められるようになるまでに、自殺法によって多分早まる人間が出てくるんじゃないかなと思う。
アニメを観ていると、「ちゃんと考えろよ!」と言われている気がして、ちゃんと考えました。