500文字くらいの日記

話も文章も長くなるので短くまとめる訓練をしたい

ポジティブになる

今日は初めて雨が降っていない時に傘を持って家を出た。

帰る頃には雨が降っていた。

こんなに簡単なことなのに素晴らしいことをしたかのような満足感があってよかった。


前向きで大らかな人の文章を読んだり、そういう人に囲まれることでだんだん自分もポジティブになってきた気がする。

「こうしないと寂しがるだろう」じゃなくて「こうしてあげたら嬉しいだろう」と思って行動してあげるような、一見すると小さな違いを積み重ねていきたい。

まずは「寝ないと明日が辛いので寝る」から、「寝るのが好きなので寝る」に方向転換していく。

炎上を見に行く

大きな試験が終わってからというもの、学校でもみんなが打ち解けて和やかな、静かな老年期の夫婦のような空気に包まれている。

ワワワッと遊びのお誘いが重なりとても嬉しい。

人間関係では気を付けなくてはいけない事が信じられないくらい沢山あって、最近はそれが日々更新されていくので目まぐるしい。

ネットで炎上するとわたしは必ず見に行く。

わりとよく燃えているのかわからないものがあるからだ。

タイトルだけ見ると別に気にすることではないのでは…という気がするものの、意見を見るとなるほどそういう考えでみんなは生きているんだな、と学びがある。

つくづく人が思ったことをぽんぽん書くことのできるプラットフォームが沢山ある時代に生まれてよかったと思う。

それを拾うことでわたしは人間世界に紛れ込むことが出来ています。

人間関係を頑張った

前は体調不良と気分不良が重なりかなり辛かったが、受けても受けなくてもいいような授業を受けてご飯も作らずさぼっているうちに元気になった。

そうしている間に桜が咲いては散り、新元号が発表され、就職が決まり、Switchを買った。

学校の人と食事に行ったり、知り合いとゲームをしたり、もちろん面接もあったし、今週は人間関係を頑張った。


家での自分と外での自分と周りから見た自分との間のギャップがあまりにあり過ぎて、本当はもっと口が悪くていい加減な人間であると知らしめたくて低い声で話してみたりしている。

声が低いと本音で喋っているように聞こえるので羨ましい。

社交性が失われた

最近の疲れと環境の変化がぐわーっと襲ってきて、なけなしの社交性が失われてしまった。

人と話をしていても顔が引きつっているのが分かるし「そうなんですねー」「へぇー」「すごーい」以外の言葉が頭に浮かばない。

もう誰にも媚びたくないなと思ってずっとスマホを見ている。

心の赴くままに話せば多分「どうでもいいです」「めんどくさいです」しか出てこない。


わたしは何にでも時間のかかる方で、時間があればあるだけゆっくりと丁寧に考えながらやる。

しかし暇なのは嫌いで、授業や仕事が退屈だとあっという間に心を病む。

今は結構暇な時期なので、張り合いがなくつまらない。

早く忙しくなって欲しい。

海に浮いてます

思い出したくないことを思い出してしまったからなのか、自分のダメなところを自覚してしまってどうすれば良いのか分からないままに、それを頭の片隅に置いて忙殺されていた。

プレッシャーや緊張を乗り越えて、やっと息継ぎが出来るかなと水面に顔を出したらこん棒でぶん殴られた。

ので、今はただ海に浮かんでいます。混乱して目が回って手足も麻痺している。もう無理。頑張れない。

お腹は空くけど食欲はない。

食べ物を見ると吐き気がするけど、他の人に怪しまれるし、低血糖になるのが嫌なので食べる。

自分のやったことは必ず返ってくると思って出来るだけ普段から良い人であろうとしているので、こういう風に自分がつらい目に遭うと「今までのはただの偽善だったのでノーカン」と神様に言われているような気持ちになる。

記憶の蓋が開く

眠かったり忙しかったりして、いっとき頭のメモリがいっぱいになると、思いもよらない記憶の引き出しが開く。

楽しかったこと、嫌だったこと、どうでもいいこと、疑問に思っていること。

この前は高校時代の嫌なクラスメイトのことを3時間延々繰り返し思い出してしまって気分が悪かった。

自我が芽生えたのが最近なので高校時代のことはあまり覚えていない。

しかし覚えている限りの記憶を突き合わせると、かなりヒリつく学生時代だった。

ぼんやり生きていたので察しが悪く、周りをイライラさせることもあっただろうし、おそらくそれが原因で「こいつに世間の厳しさを教えてやろう」という迷惑な人間に粘着されることが多かった。

そういう人から面と向かって言われる皮肉や嫌味にすら、ぼんやりしていて気付かないものだから、相手が余計にヒートアップしていて泥沼化していた。

しかしそれすらもぼんやり過ごしていて全然気にしていなかった。


そういうのをふと思い出してしまうと、自分が一体どうやって生きてきたのか分からなくなって、足下がぐらつくような感覚を覚える。

後になって嫌味を言われていたことに気づくと、当たり前に人間不信になる。

あの人達はいまどこでどうやって生きているのかなと思う。

リュック全開の人に声をかけられない

近所の街路樹の葉の付け根辺りが、最近花を咲かせそうな具合に白くなっていたので楽しみにしていた。

今日見てみると、白っぽい新芽が出てきただけだった。

まあ新芽でも良いけど、やっぱりちょっとがっかりした。


リュックに大きい荷物を入れて歩いている人がいた。

身なりは綺麗なのになぜかリュックが尋常でなくボロボロで、荷物が大きいからかチャックが開いてしまって今にも落ちそうだった。

しかし、何らかの理由であえてやっているのかもしれないと思って声がかけられなかった。

目の前の人のリュックが全開でも、案外声を掛けられないものだなと思った。

自分なら教えてもらえたら有難く思うが、きっとそうじゃない人もいる。