「バビロン」をみた
アニメ「バビロン」をみた。
アマプラには今のところ11話までしか公開されていないので、そこまで。
自殺する自由を法的に認める、自殺法の是非を問うていくアニメだ。
最初は革命家によって打ち立てられた突拍子もない法律が、次第に世界へと広まっていく。
自殺によって遺族は悲しみ経済は停滞する。
しかし、生きていたくないという意思は尊重されるべきだ、ということらしい。
自殺は是か否か?
わたしは否かなと思う。
生まれた環境とか、本人にはどうしようもない要因によって不幸の只中にいる人が自殺したとしても、誰もその人を責められないし、自殺がその人にとって唯一の救い足り得る状況と言えるだろう。
本人の努力では克服できない困難に対して救いの手が差し伸べられないことが間違っているのだから。
ただ、それはそれとして、自殺は否定する。その2つのスタンスは無理なく両立すると思う。
だって自殺が肯定されたら、絶対悲劇のヒロイン気取ったやつがボコボコ死んでいくでしょ。
自分の意思や行動で改善できる状況や、時間が経てばどうにかなる物事というのがある。
経験を積んで、その辺りが見極められるようになるまでに、自殺法によって多分早まる人間が出てくるんじゃないかなと思う。
アニメを観ていると、「ちゃんと考えろよ!」と言われている気がして、ちゃんと考えました。
胃カメラ
人間ドックに行った。
何が恐ろしいか?胃カメラである。
胃の中を見たいな、そうだ、食道からほっそい管を入れてちっさいカメラで撮影すればよくね?と考えた奴は幼少期に頭を強めに打ったのか?
しかもいうて管そんなに細くないし。タバコくらいあった。
前処置の麻酔が既にしんどい。
注射みたいなやつで鼻にドロドロした液体を入れられて、それを喉まで下ろして呑み込まなければならない。
それ単体でも全然不快なのに、その後の不快さに比べれば米粒。
嘔吐反射が強いなら、と喉に麻酔スプレーをされる。食べちゃいけない苦みが広がり口の中が痺れる。そしてそれを呑み込まないといけないらしい、まじで??
鼻と口と胃が複合的な不快感に襲われ、言語化できない苦痛に恐怖すら覚える。
赤ちゃんってこういう訳の分からなさでずっと泣いてるのかもな…と謎に理解が深まった。
これ以降唾液は飲み込まないでくださいと言われる。日頃無意識にやっていることを他人から禁止されるの怖すぎ。
胃カメラ中はもう、先生がマッドサイエンティストにしか思えなかった。
穏やかな口調で「ここが胃の入り口、とても綺麗ですね」とか言われましても。
鼻から管が入ったことなんてないので、初めての感覚に身体が「吐き出さないかんやつ!!」と全力でアラートを出している。
それを理性で押さえ付けている状態。
集中が途切れたら即座に負けそうだった。
途中「せっかく金と手間かけてるんだから見らな損!!!」と勇気を振り絞ってモニターを見ると、胃の中でスプラトゥーンが行われていた。
液体で胃壁の泡を取って見やすくしているのだろうが、体内でスプラトゥーンされているという状況がちょっと面白かった。
もう終わりか…?と思った時に「今半分くらい終わりましたからね〜」と言われ絶望する。
絶望からついにえづいてしまい、後の記憶がない。
気持ち悪すぎてスライムみたいな唾液が出た。
結果は異常なし。
あと10年は受けたくない。
感情と状況を切り離す
年末くらいからずっと忙しく、大した消費もせず生きている。
忙しいから消費ができないというのは甘えだな、Amazonでいくらでも買い物はできるし。
物欲が刺激されるほどの情報に触れられていないと思ったが、これも甘えかな…。
あれも欲しいこれも欲しいがカンストしているのが私だったのに、一体どうしてしまったのか。
最近自分の感情を眺める事が出来るようになった気がする。
今日も職場で会うのが最後、という人とやたら楽しくお話して、でも、それは「最後にいい思い出を残そう」というお互いの配慮の上に成り立ったものだと分かっていた。
わかっていたけど、その時間を心から楽しんだ。
昔の自分なら見ないふりをしていた部分もちゃんと見られるようになったな。
こうやって、自分の気持ちと状況とを切り離して見られるようになっていくのは成長を感じて嬉しい。
なぜか?傷つく回数が明らかに減るからです。
先輩の病欠
今日、先輩が病欠した。
先輩が居ないという不安と、先輩の穴を、この新人のわたしが埋められるのだ、という承認欲求の充足とで、プラマイプラくらいになった。
なんと浅ましい人間だろうか。
そういう人間が一番嫌いだったのに、自分がそれになってやがるな。先輩の体調の心配をしろ。
それとは別に、「あなたみたいな性格だったら良かったのにって思う、いつも癒されてる」と言ってもらえて嬉しかった。
人は浮かれると何でもいいから話すことを探すんだなぁと自分の心の動きを見ていた。
引っ越しまであと1週間。
心が行ったり来たりする
転居先も決まって、パートはあと1週間で勤務が終わる。
仕事を辞められるのは嬉しいが、職場環境が良かったので、この先これ以上の場所で働けるのか?という不安もある。しばらく夫の給料だけで生活していくのも不安だ。
東京に住めるのは楽しみだが、土地勘もない地域でどのように生活していくのか全く見通しがつかない。
どちらも楽しみなことと不安なことがあって、何を考えてもずっと心が揺さぶられている。
今週は休みが無かったということもあり、引越しの準備をしないといけないのに寝てばかりいる。
環境の変化は心身ともに疲れる。
大人になるとそういったことは全て想定内なので、パフォーマンスを下げないように生活を調整している。
でも、早く来月になっているといいな…
言葉が溢れるようになりたい
腰回りがだる重く体が悲鳴を上げている。
こんな時は何も考えたくないと思うが、こんな時こそ言語化しておいた方が良いような気がしている。
自分の考えを言葉にするのが苦手で、というか大体何も考えていない。
たくさん本を読めば、自分の中に言葉が溜まっていって、溜まり過ぎて溢れるように喋りだすのだろうか。
言葉を覚えたての子供も言語大爆発とかなんとかいって、一度喋るようになると止まらなくなると聞いたことがある。
生まれたての子供が感じるのと同じすさまじい強度で、思想や言語に溺れた方がいいのかもしれない。
連勤術師
朝目が覚めたとき、「今日は休みだよね!?」と体がやんややんや言ってきましたが、仕事だったのでした。午前中、忙し過ぎてかなりでかめのため息連発して悪かったな… どんな時も飄々と仕事したいよ
— すみやま (@primula744) 2020年1月8日
なぜ体が休みだと認識していたのかというと、普段わたしは週4のパートなので、大体2日出勤したらその次の日は休みであることが多いから。
今週は6連勤、来週は木曜日だけがお休みです。
忙しい自慢はしたくないけど、「あんまりだー!」と体が悲鳴を上げているので書いてみた。
熊本地震のとき、自らも被災者でありながら災害対応にあたった先輩が「もっと大変な人はいっぱいいたからね…」と疲れ切った顔で言うのを見て、自分より大変な人がいることは、自分が大変ではないという理由にはならないですよ、、という話をした。
でも私はもう少し頑張った方がいいな…