サッカーにハマろうとしている
今日は前髪を切った。
いつもは平日の昼間にその美容院に行っていたので気がつかなかったが、そのお店はメイン客層が男性なのだった。
入店すると男性しかいなかったのでビビり倒した。
帰宅してDAZNでサッカーの試合を見た。
去年スタジアムで観戦して以来、地元チームのことが気になって仕方がない。
しかし案外、サッカーというのは放っておいても初心者にも面白そうな情報が入ってくるコンテンツではなかった。
ニュースや公式ツイッターで見られるのは試合結果か知らん選手のオフショットばかりで、サッカーの戦術的な面白さ、選手の移籍や怪我からの復帰、チーム同士の力関係など、そういう美味しいところは自分から勉強していかないといけない。
Jリーグのアプリを入れて見どころや監督のコメントなどを読み込み、解説で出たわからない言葉はメモを取りググる。
そうしていくうち、ただの球蹴りにしか見えなかったのが、1つ1つのパス回しに意味を感じられるようになる。
この歳になると、ものを楽しめないのはひとえに自分の教養と知的好奇心のなさであるという残酷な真実に気がつき始める。
そこを補填するには、時間をかけて意識的に情報を得て学んでいくしかないのだ。
野球をみた
ブログとか、後に残るもので人を褒めるのが好きではない。
そのあとにその人のことを嫌いになってしまったら、もうその文章を全部消してしまいたくなるし、実際に消してしまうからだ。
今日はお互い会話をしなさ過ぎて人間性について誤解をしていそうな人とゆっくり話して、チューニングを合わせられたので良かった。
帰ったら久しぶりに連絡をしようかなと思っていた人から昼頃にラインが来ていた。
近況報告をして、愚痴を聞いて、とんでもない悪口を言った。
悪口も突き抜け過ぎると笑いになる、というのはその人とわたしの共通認識だ。
野球の無料観戦券を貰っていたので初めてドームに行く。
わたしはサッカーは見たことがあるが、野球というのは、本当に…本当にビッグコンテンツなのだなと少し嫉妬した。
サッカーファンは雀の涙ほどの供給をありがたいありがたいと享受しているのに、野球はスタグル、スポンサー、グッズ、ファン層、インフラ、音響、全てが圧倒的だった。
選手生命もサッカーに比べれば長く、それだけ長期にわたって特定の選手を応援し一緒に年を重ねることができる。
経験のある選手はバラエティに出たりしてまたさらに供給が増える。
なんとも素晴らしいことだ。
第3のビール
今日はひたすら眠かった。
月曜日だし雨が降っているし。
一瞬、スリッパの厚みについて論じる夢をみた。
わたしは、厚底の方が足が疲れなくていい、と当たり前の事を言っていた。
本麒麟の新しいやつ?がたまたま手に入った。
WBCで本麒麟がめっちゃくちゃ売れているという特集があって以来、CMで見るたびにずっと気になっていた。
ちなみにわたしは遺伝的にアルコール分解酵素を持たないので、注射の消毒でも肌が赤くなるし、飲み会でもよほどのことがないと酒を飲まない。
よほど薄いカクテルでもない限り美味しいと思わないし、楽しくもならず即気持ち悪くなるばかりで、ビールなんてもってのほかだ。
しかし本麒麟の最初の二口は、まあまあ美味しかった。
これは僥倖だが、当然それは飲み物としてではなく、アルコールが入ってるにしてはやりますね、のレベルだ。
以前、「ビールを美味しく感じるには、疲れ果てて喉がカラカラの時に飲むといい」と言われたことがある。
まさにその状態だったのだろう。
その状態だったのだ。
そのあと10口くらい飲んだところで通常通りマズさがカンストしたのでやめたが、空腹時の飲酒で一気に酔いが回り、命の危機を感じるほどの頻脈になり、気持ち悪くなってトイレに駆け込んだ。
少し落ち着いてから寝るというよりは気絶という感じで横になり、今に至る。
一瞬見えた美味しいビールへの道は地雷原だったようだ。
結婚式のスピーチ
友人の結婚式のスピーチを考えている。
だれも見ていないでしょうが、という気持ちでインターネットの海に放つ独り言とは全く異なり、大勢の前で話す、しかもちょっと砕けた感じで、というのは文章を考えるのがとても難しい。
新卒の時に入社式で新入社員代表スピーチをしたが、その時はカッチリキッチリした文章でよかったし、事前に人事の人に添削もしてもらえた。
それが家で一人で考え、当日にワッと発表するとなると、そこまでの間ずっと原稿がすべり続けている気がしてつらい。
すべりたくない。
とりあえず一人ですべり続けてでも原稿を完成させ、出来上がったら夫の前で音読練習をするしかない、小学生の頃のように。
ハレの日になんかちょっとでもいい感じの空気にしたい、というよこしまな心が頭を出す。
頑張るしかない。
テスト終わりの金曜日
今日はテストがあった。
学科試験というものはわたしが人生で唯一「場数を踏んでいる」と言えるものかもしれない。
緊張をうまく乗りこなして、緊張しているなりのパフォーマンスをそれなりの成果に繋げられる、と思う。
テストが終わってからは気持ちが晴れ晴れとして、なんだか世界が輝いて見えた。
購買意欲が沸き起こり、肌に合わないがもったいなくてイヤイヤ使い続けて肌を荒れに荒れさせたスキンケアをエイヤっと買い換えた。
今週は心が死んでいて、どれくらい死んでいたかというと、リビングの電気が切れているのに買いに行かず台所からの明かりだけで生きていたくらい死んでいた。
それも買い直した。
これは本当に世界が明るくなって素晴らしい気持ちになり、思わず拍手をした。
土日は色んなコンテンツにじゃぶじゃぶ溺れたい。
「先生」というフリ
人に何かを教える人特有の驕りというのがあると思う。
人にものを教える時は、淡々とそれでいて自信に溢れた態度でいないと、相手に伝わらないし説得力も出ない。
そのためいつも先生や先輩というものは真面目、厳格、というイメージから始まる。
スタートの印象がそれなので、ちょっと冗談を言っただけでも普段からの振りが効いてまあまあウケる。
でもそれはいかついお相撲さんが注射を怖がる写真がバズったり、お坊さんが砕けた事を言うと一気に親近感が湧いたり、とかそういう類のものであって、本当にその人そのものが面白いわけではないのでは、と思う。
果たしてそういう「フリ」のない状態でその人達はこんなに受け入れられるだろうか。
「学校」と呼ばれるものが苦手でつらくてやっと生き延びたというのに、短期間ではあるが再びそういう閉鎖的な環境に身を置かざるを得なくなった。
そろそろ1ヶ月が経とうかという頃にストレスが爆発して授業中にこういうことを考えている。
金曜日だった
昨日はくさくさしていて、目に入るもの全てに喧嘩を売って回るような状態だった。
今日はというと、憑き物が落ちたように珍しく怒りも悲しみもなく目覚め、ゴンチチを聞きながら通学した。
あと二駅というところで、今日は座学ではないのを思い出して、これはまったりしていられないと思いワンダイレクションに変えた。
教室では、毎日の疲れと金曜日という喜びが混在して、話すときはワッと盛り上がるが、何十人もいるのに急にシン…としたりしていた。
みんなそれだけ疲れているのだ。
夕方に全ての授業が終わった時は達成感に満ちていて、今日一番のガヤガヤで満たされた。
ローソンで辛激ラーメンを買った。
辛いものを食べるのは自傷行為のような部分がある。
甘いいなり寿司と一緒に食べて幸せな気持ちになった。